★活動報告★
平成15年12月
12月31日(水)

 深夜、ホームページの今週の一言を更新。

12月29日(月)

 外国あてグリーティングカードの発送に追われる。昨日の選挙で勝利したセルビア急進党のシェシェリ党首、ニコリッチ党首代行ほかにも、お祝いと激励の言葉を添えて手紙を送る。このような付き合いはすでに5年目となるが、今年は出来たら、ベオグラードを訪問したいと考えている。天木直人前レバノン大使にレコン版下を送る。ホームページの今週の一言 を更新。

12月28日(日)

 セルビア共和国議会選挙が行なわれ、民族派のセルビア急進党が、250議席中82議席を獲得し、第一党に躍り出た。

 友人から来たメールによれば、「政権を取るには足りないが、次にまた選挙をやれば、完全にセルビア急進党が勝つだろう」とのこと。

 ちなみに第2党はコシュトゥニツァ氏のセルビア民主党で53議席を獲得。第3党は政権与党だった民主党で37議席。連立を組んでいた「G17」が、それに続き34議席を確保。続いてセルビア再生運動、ミロシェビッチ元大統領の社会党がそれぞれ22議席を獲得した。

 シェシェリ党首は旧ユーゴ国際戦犯法廷で公判中だが、CNNなどアメリカの報道では、容疑が確定する前から、すでに犯罪者扱いである。今回の勝利に対しても強い危機感をかもし出すような報道姿勢である。しかし、ニコリッチ党首代行は「戦犯法廷に屈辱を味わわされたすべてのセルビア人の勝利だ」と宣言。国民と一体になって、戦犯法廷に「ノー」を突きつけたことを、高らかに謳った。前政権があまりに欧米寄りに傾いていたことに対し、国民の不満がいかに大きかったかが示されたのである。わが日本においても基地問題での不満があるが、これを屈辱と受け止める。広範な世論形成はいつできるのだろうか。

写真:2000年1月に行なわれたセルビア急進党10周年大会にて撮影。ステージ上に並んで座るシェシェリ氏(中央)とニコリッチ氏(右)。左端は元情報大臣。

12月27日(土)

 午後から新宿駅頭にて、本年最後の定例街宣を行なう。主に自衛隊のイラク侵略参戦について話した。夕方から、平河政経塾の忘年会に出席。

12月26日(金)

 レコンキスタ 298号 ダイジェスト版をホームページに掲載する。午前中、シンパで早大生のM君らが来訪。平成維新にかける意気込みを聞く。夜は原宿で友人らと一献。

12月25日(木)

 午前中、「ガチンコ」ゲラチェックと返送。レコンキスタ 298号 がいよいよ完成。正月の到着に間に合うよう発送準備。昼ごろ、シンパの I さんとお会いし、昼食をとりながら打ち合わせ。午後から年賀状数百枚の発送作業をする。ブルガリア国民党(Bulgarian National Party)委員長より、クリスマスと新年を祝うメールが届く。「グローバリズムやアメリカ帝国主義と戦う人々にとって、来年が良い年になりますように」とのメッセージ。こちらからも返信する。夕方、一水会と木村ゼミ合同の「クリスマスをぶっ壊す会」に出席。その後は、大日本帝国の息吹を示すため軍歌演習。

12月24日(水)

 午前、レコン版下を最終校正。お昼にシンパのT氏、イラク人留学生S君が来訪。その後、二人を連れて会食。夕方に、テレビAのNさんが来訪。夜、一水会の横山君、シンパのKさんと一献、打ち合わせ。

12月23日(火)

 武蔵野陵参拝。その後古書店めぐり。いわゆる東京裁判によってA級戦争指導者7人が処刑された命日。


12月22日(月)

 『月刊日本』平成16年1月号が発売。論文「米英のイラク占領政策と飛び火する抵抗運動の矛先」を掲載した。昼頃、レコンキスタができあがる。 レコンキスタ298号は、巻頭、巻末をカラーページにし、12面構成とした。創刊から三十余年、初めての試みである。

 一水会の事務所が入っているビルのオーナー会社を訪ね、契約を更新。その後、事務所に戻り、ホームページの今週の一言を更新。夕方、テレビ朝日の「スーパーJチャンネル」で、先週金曜に収録したインタビュー(建国義勇軍について)が流れる。帰りに事務所のスタッフたちと、大戸屋でつつましく夕食をとる。

12月21日(日)

 終日資料整理。読書。

12月20日(土)

 昨日収録したインタビューが、午前10時からのフジテレビの番組「ワッツ!? ニッポン」で放映される。コメンテーターのテリー伊藤氏が、「建国義勇軍は真面目に右翼をやっている人にとっては冒涜だ」との発言。だが、私は建国義勇軍のメンバーが不真面目な社会生活を送っているとは決して思わない。行動が伴わない右翼よりも、むしろ真面目なほうだとすら思っている。

  午後、正氣塾の中尾さんと会う。「右翼界に欠けているのは、一般のマスコミでも通用するタレントだ。言論人と実践家を兼ね備えている人材があまりに少ない。誰かが出てこなくてはダメだ」と仰っていた。納得。

12月19日(金)

 朝、「建国義勇軍」メンバー逮捕との報が入る。逮捕されている人物達の名前を見て、知らない人ばかりなので驚く。しかし、こういう社会的にもそこそこ立場のある方々が、行動に出ている現状を考えなければならないと思った。政治に対する強い憤りがあのような行動を惹起させているのだろう。それについては、「木村が見た建国義勇軍の思想と行動・」をご覧いただきたい。

 昼ごろ、テレビ朝日の取材を受ける。テーマは建国義勇軍について。私なりの分析と感想を話した。

 収録後、レコン原稿を入稿。月刊誌「ガチンコ」に連載中の「益荒男月報」を書き上げる。夕方から、大学での論文指導教授・小林節先生とお会いする。その後事務所に戻り、「ガチンコ」原稿を最終確認の上、入稿。深夜から、フジテレビのインタビューを受ける。テーマはやはり建国義勇軍についてだった。

12月18日(木)

 昨日に続き、事務所で再びレコン原稿を書く。午前、午後に政経懇話会などの会食やパーティーが重なる。

12月17日(水)

 昼ごろ、シンパのYさんと昼食を取りながら打ち合わせ。その後、事務所に戻りレコン原稿を執筆。ひと仕事終えて、事務所のスタッフと大戸屋で質素な夕食。

12月16日(火) 

 西部邁先生と、事務所の方たちと、改めて忘年会。夕食をとりながら、イラク情勢について語り合う。「フセイン大統領が拘束されたことで、一部の保守派が鬼の首をとったように喜んでいる。しかし、だからといって、アメリカがイラクに侵略戦争を仕掛けたという事実は変わらない。木村君も元気出しなよ」と慰められる。食事のあとはカラオケに繰り出す。演歌、軍歌、唱歌、民謡、ナツメロ、フォークなどで盛り上がる。

 その後、新宿2丁目のバー・Bに行き、偶然居合わせた脚本家の荒井晴彦さんを交えて語り合う。ハリウッド映画の最大の市場がアメリカ、2番目が日本であることを聞いて驚く。「ラスト・サムライを見たほうがいいですよ。あれを見て大いに怒ってください」と言われる。来年のNHK大河ドラマ『新撰組』の話題になった途端、お互い、意外と近くに住んでいたことが分かり、地元・三多摩の話題で盛り上がった。

12月15日(月) 

 朝からフセイン大統領拘束のニュースで持ちきりである。イラクの友人からもさまざまな情報が入った。曰く、フセイン大統領が穴の中に隠れていたというのは嘘だという。また、捕捉作戦の最中、特殊なガス弾が使われた可能性がある、とも。映像の中で、大統領の意識が朦朧として見えたことや、足腰をなぜ写さなかったのか、との指摘があった。言われてみればたしかにその通りである。

 昼ごろ、シンパのNさんと会食。午後、今週の一言を更新。夕方から、テレビAのNさん、宮田武氏たちと一緒に忘年会。

 帰路、駅のキオスクで、『夕刊フジ』が飛ぶように売れていた。「フセイン 命乞い」などと面白おかしく見出しをつけたものだ。しかし、「Don't shoot. I am Saddam Hussein. I am the president of Iraq」という英語を「撃たないで」と訳すか「撃つな」と訳すとでは、与える印象がだいぶ違う。一般紙では「撃つな」だったが、『夕刊フジ』では「撃たないで」と、いかにも情けない訳し方をしており、彼を貶めようとする意図がミエミエだ。ここぞとばかりに叩いている。一方で、ブッシュのイラク攻撃の不当性には沈黙。これも「見識」なのか?

12月14日(日) 
 
 夜、フセイン大統領が拘束されたとのニュースが入った。そして、私のもとにも各方面から電話がひっきりなしにかかり、宮崎哲弥さんからも数回電話があった。これから「東京裁判」ならぬ「バグダッド裁判」が始まるのだろうが、アメリカはこれまでの方針を覆して、フセイン大統領をジュネーブ条約に基づく戦争捕虜として扱うとしている。ICC(国際刑事裁判所)などの国際法廷に引き渡すつもりはないということだ。国際法廷が開かれれば、むしろアメリカが始めた侵略の不当性を問われかねず、積年のアメリカの謀略が暴かれることになろう。そのための口封じなのだ。

 イラク統治評議会のメンバーは、先に設置された特別法廷で、イラク人の手によりフセイン大統領を裁くと言っているが、これがアメリカ主導になるのは間違いない。「裁判制度が不十分」などといって、アメリカが介入してくる可能性はいくらでもある。訴追のプロセスは、アメリカの「正義」を喧伝し、フセイン大統領の「アラブの大義」を思想的に抹殺するための場になろう。こうしたことを看過するわけにはいかない。宮崎さんは、「何としても、フセイン氏をアメリカ主導の法廷ではなく、国際法廷に奪還するべきだ」と話していた。

 私も同感だ。すでに心ある弁護士の方々には、フセイン大統領の特別弁護団を買って出ようという人もいる。フセイン大統領が自裁しないで拘束されたのは、言わなければならぬことがあったからではないだろうか。大統領の拘束によって、ブッシュの侵略戦争、イラク人虐殺の罪が忘れ去られようとしていることを、見逃してはならない。

12月13日(土) 
 
 昼ごろ、府中にある大国魂神社を参拝。親戚のお宮参りで。

12月12日(金)

 午後、『リベラルタイム』ゲラを入稿。ホームページの今週の一言を更新。夜から、高校の後輩が明大前で季節料理店を開いているので、藤井氏、横山君、元村先生と一献。その後、元村先生の行きつけのお店へ。オール軍歌で真夜中まで「大日本帝国」の復活気分に。

12月11日(木) 
 
 昼ごろ、日本人権擁護協会の小川さんとお会いする。横山君も同席。


12月10日(水) 

 午後から『リベラルタイム』ゲラチェック。ホームページの今週の一言を更新。昨日(9日)、自衛隊イラク派遣の基本計画が閣議決定されたのを受けて、小泉首相が発表した談話の内容を批判した。憲法全文の都合の良いところのみ利用し、「国際協調」と「日米同盟重視」という相矛盾する姿勢を説いたが、日米同盟を重視してイラク侵略に加担することは、「国際協調」には程遠い行為なのではないか。

 夕方、「一水会フォーラム」で講師を務めていただく天木直人前レバノン大使と待ち合わせ、ともに会場(高田馬場シチズンプラザ)へ。「私が外務省にケンカを売ったわけ」という演題で、お話いただいた。今年最後のフォーラムにふさわしく大勢の方が参加され、会場は満員に。フォーラムのあとは恒例の「レコン読者の集い」を行ない、岸田秀・和光大学教授も過激にあいさつ。来年への抱負などについて語りあった。終電を逃し、この日は事務所泊。

12月9日(火) 

 昼から、元『婦人公論』編集長の水口義朗さんとともに、打ち合わせ。夕方から夜にかけて『リベラルタイム』の原稿を執筆し、〆切ギリギリで入稿。 
12月8日(月)

 昨日(7日)ロシアで行なわれた下院選挙の大勢が判明したので、ジリノフスキー氏にお祝いの手紙を送る。共産党と2位争いをしたが、最終的には38議席を獲得して3位に。得票率は11.6パーセントと、4年前の5.98%から大きく躍進した。

 午後、『月刊日本』原稿提出。イラク人留学生のS君が来訪。最新のイラク情勢について話を聞く。「日本人はアメリカの手先と思われていて恨みを買いつつある。狙われて危ないので行かないほうがいい」とのこと。

 夕方から、小学館SAPIO編集部などが主催する「謝恩の会」に横山君と出席。今年も盛況であった。ジャーナリストの生江有司氏、高尾昌司氏、恵谷治氏、井沢元彦氏など、多くの方々に会う。SAPIO副編集長のタカシちゃんに「木村さん『一人アルジャジーラ』を日本でやって下さいよ」とけしかけられる。

 その後、都内の某ホテルで、大学での論文指導教授の小林節先生とお会いする。「木村くんもだんだん貫禄が出てきたな。革命家の顔になってきたよ。とくに、頭髪を見てそう思ったよ」と言われ、「私は駄文の『書く迷家』ですけどね」と答えた。
12月7日(日) 

 今日は真珠湾攻撃が行なわれた日であり、日米開戦の記念日である。午後から、この日にちなんで神奈川・横須賀で、統一戦線義勇軍主催の反米デモ行進が行なわる。一水会の横山君などが参加した。私は『月刊日本』の原稿執筆に追われる。

 夜から、『月刊日本』などでお世話になっている藤井厳喜さんの忘年会に参加。山浦先輩、蜷川先輩、三浦先輩とお会いする。一人ひとりの自己紹介もピリッとしていて、ためになった。
12月6日(土)

 自宅で資料整理。午前中、自治会の会議に出席。
12月5日(金) 

 『わしズム』Vol.9が発売。「自衛隊よ、不名誉な戦死することなかれ」を寄稿したので、ぜひご一読を。

 午前中、鈴木邦男顧問、横山君と待ち合わせ、中村武彦先生のお宅を訪問する。この時のお話は、新年号の『レコンキスタ』に鈴木顧問が書くのでお楽しみに。私はその後、ロシア大使館に知人のMさんとB氏を訪ねる。

 夕方より、「木村ゼミ」を開講。今日のテーマは「新右翼の運動の台頭」。ゼミ生全員に、楯の会事件、経団連事件等の檄文について、論文を書いてきてもらい、提出してもらった。これから添削していくが、難しい言葉を定義なしに使うと、誰かの受け売りになってしまうことが多い。それよりも、平易な言葉でいいから、自分の頭できちんと考えて書くことの方が大切だと思う。

 ゼミのあとには忘年会を行ない、一年を振り返りつつ語り合った。帰りは、家が同じ方面にあり、一水会にロイヤリティーを強く感じている清水君とともに、帰路についた。

12月4日(木) 

 午前中、『月刊日本』などの原稿を執筆。夕方から、来日中のイラク南部の部族関係者、アブドルアミール・リカービ氏と会見。「国民はフセイン体制の復活も、アメリカの占領統治も望んでいない。外国の軍隊には正直言って、来て欲しくない」と語る同氏の意見は、イラクの一般大衆の意見を代弁しているものと思えるが、第3勢力の影響力が増しつつあることを実感した。ただ、岡本行夫首相補佐官などは、「あの人は少数派の人だから」と、まともに取り合おうとしていない。アメリカに盲従するあまり、現実に目を閉ざすという、政府高官にあるまじき態度である。こういう人間が国の方針と政策を誤らせるのだ、とつくづく思った。

 夜から、全日空ホテルで行なわれた「サンデープロジェクト」「朝まで生テレビ!」の慰労会(忘年会)に出席。300名余の代議士、著名人がひしめきあっていた。鈴木邦男顧問、四宮正貴先輩、私で一献と思ったが、バラバラに。

12月3日(水) 

『リベラルタイム』発売。午前中、シンパのKさん、I さん、Tさんが来訪。全員が大学の同窓だったので、その話で盛り上がる。夜から大学関係の社交場「BRB銀座」に行くが貸切りだったため、場所を移動して一献。BRBの貸切予約の掲示板に「一水会様」と書いてあったので、友人は「段取りいいね」とびっくり。だが私は予約した覚えがなかった。慶大OBにも「一水会」という会があったということだ。

12月2日(火) 
 
 午前中、テレビAのYさんが来訪。そのまま一緒に昼食をとりながら、イラク情勢について話る。午後から、I 君が来訪。事務作業を手伝ってもらう。
12月1日(月) 
 
 今日から師走。年末の砌、ちょっと懐に手入れれば今年も薄紙の肌ざわり。原稿チェックや資料整理に追われる。

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