★活動報告★
平成16年2月
2月29日(日)

 早朝に成田空港に到着。そのまま事務所に直行し、原稿を執筆。時差ボケで眠い中での作業。午後、親戚の祝事に出席する。夜、早めに帰宅。

2月28日(土)

 午後にタイ・バンコクに到着。次の飛行機まで8時間近くあったので、5時間だけ周囲を散策することに。夜、バンコクから日本へ出発。

2月27日(金)

 午前、サダム・フセイン大統領の長女、ラガット・サダム・フセインさんと会見。なかなか簡単に会える人ではないので、会えてよかった。『鬼畜米英 がんばれサダム・フセイン ふざけんなアメリカ!! 』を手渡す。

 ラガットさんは「先日、赤十字の人が、父の手紙だと言って私の所に持ってきましたが、私はそれを見るなり偽物であると指摘しました。私は今バクダッドが混乱している事に対し、非常に心を痛めております。一日も早いイラクの安定と平和が訪れることを願って止みません。この混乱を作った当事者は、いずれ歴史の裁きを受けるでしょう」と語った。非常に聡明な方だった。

2月23日(月)〜2月26日(木)

 ともに愛国者会議に参加したメンバーに別れをつげ、モスクワからヨルダンに向け出発。夕方ごろに到着し、空港ではヨルダン人やイラク人の友人と再会。以後行動をともにする。具体的な事はあまり書けないが、様々な状況が分かり、いろいろと収穫が大きかった。また追って徐々に報告していきたい。

2月22日(日)

 午前中、モスクワのクレムリン周辺を見学。あまりに融通の利かないシステムに立腹し、レーニン廟は見ずじまいだった。午後、ソ連時代に芸術家を育成していた「モスフィルム撮影所」内にある、画家のバーベル氏のアトリエを訪問。日露間の歴史をテーマにした絵を描いていて、鎖国時代の日本に訪れたプチャーチン将軍の物語、大津事件、日比谷焼き討ち事件などの絵があり、見ているだけで面白かった。 この日は市内で「祖国防衛記念日」のお祭りがあり、テロ後の厳戒態勢にもかかわらず、クレムリン横の広場は人でいっぱいだった。そんな中にジリノフスキー氏が突然現れ、福を呼ぶ人形を配り出したから周囲は騒然。人々が彼のもとに殺到し、ボディーガードが必死に庇っていた。


2月21日(土)

 ロシア自民党のジリノフスキー氏が主催する「第二回世界愛国者会議」が開かれ、日本からの同志として参加する。ドイツ、イタリア、ベルギー、スペインや、旧ソ連諸国、南米の愛国者が大集合して、各国の問題やアメリカへの危機感を話し合った。とりわけ、アルメニアやアゼルバイジャン、ウクライナ、ベラルーシなどの代表は、9・11後に米軍が「テロとの戦い」を名目に、領空通過や基地提供などの形で進出していることや、見返りの経済援助で内政にまで影響を及ぼしつつあることに強い危機感を持っていた。知られざる民族主義のマグマが、そこかしこに溜まっているのが感じられた。詳しくは今週の一言を参照していただきたい。

 会議の後はバスに乗って短いモスクワ観光へ。救世主聖堂、ピョートル大帝教会、モスクワ大学などを駆け足で回ったが、ガイドは「これは共産主義時代に建てられた建物だ」「共産主義時代はこうだった」という言葉を連発。ソ連時代の抑圧がよほどキツかったのだろう。そこですかさず、「パトリオティック(愛国的)な建物はあんのかい?」と訊くと、ガイドは面食らっていたが、アーチ型の窓がついた木造建築を指差して「ああいうのがパトリオティックな、トラディショナルなロシアの建築ですね」とお茶を濁していた。他の参加者たちも皆、笑っていた。

 夜からは、ジリノフスキー氏の招待で、食事会が開かれた。「私は若い頃よく、日本人に顔が似ていると言われたのよ」というジリノフスキー氏の夫人も駆けつけ、和やかな会に。ジリノフスキー氏の真向かいに座らされた私に彼は、「参加してくれてありがとう。自民党はあと5年で第二党、10年で第一党になって政権をとるから、期待して欲しい」と自信たっぷりに話してくれた。結局、ホテルに帰ってきたのは夜11時過ぎだった。

2月20日(金)

 昼に成田を出発し、10時間あまりのフライトを経て、現地時間の夕方にモスクワ着。空港にはロシア自民党の関係者が迎えに来てくれて、日本語の喋れる通訳が、「ISSUI会」と書いた札を持って立っていた。
 ホテルに着いてから、友人のドストスキー氏に電話をかけると、すぐに来てくれた。前回の訪問でも訪れたロシア下院近くのレストランで、うまいボルシチを食べながら政治談議。このドストスキー氏は実に誠実な人物で、こちらの要求に対しても全て調べてくれ、きちんと回答をくれる人だ。

2月19日(木)

 朝一でロシア大使館を訪問し、ビザを取得。地下鉄爆破事件などがあった関係で、チェック体制が強固になり、ジリノフスキー氏からの招待状が届くのが遅れ、ギリギリになってしまった。しかし、これで無事にロシアに行けることになり、まずはひと安心である。
 その後、事務所に帰って事務作業。ロシアで演説するための資料なども用意しておいた。

2月18日(水)

 ロシア大使館のタラマフ氏に電話し、ビザの確認をとるが、まだ招待状は来ておらずやきもきさせられる。午後、ロシアの後に行こうと思っているイラク周辺の国に関して、打ち合わせをする。
2月17日(火)

 昼頃、Y所長と打ち合わせ。事務所に帰り作業。先日取材を受けた週刊『SPA!』が発売される。特集「陸自本隊派遣―自衛隊がイラクで嫌われない方法」にて、「イラク人とうまくやる方法」を伝授。自衛隊のイラク参戦には反対だが、行ったからにはイラク人と軋轢を起こさないようにして欲しいということで、
 (1)自分の宗教的スタンスを明確にすべし、
 (2)アラブ時間に身体を慣れさせるべし、
 (3)自衛隊はモスクを建立すべし、
 という提案をさせて頂くが、参考になっただろうか。コラム「益荒男月報」を掲載中の『ガチンコ!』も、この日発売だ。編集長によれば、実はけっこう評判がよいとのこと。

 夜にはTBS『NEWS23』でもコメントが放映された。最終的には「憲法問題を各界論客に聞く」というタイトルにされたが、内容は、アメリカ大使館をバックに、イラクへの自衛隊「参戦」反対と、小泉政権への批判を語ったものだ。その後、犬塚先輩と合流し、打ち合わせ。そのままG街に。

2月16日(月)

『月刊リベラルタイム』のゲラチェックをして返送。今回は『噂の真相』休刊の真相について書いた。岡留氏との長い付き合いの間には、いろいろなことがあったし、それこそ身の毛のよだつようなことも沢山あった。原稿を書いているうちに、これまであまり公言していないようなエピソードも思い出し、それも書いた。だから、私にしか書けない場面であり、独自ネタということである。ぜひご一読のほどを。
 ロシア行きを前に、新宿のペチカでロシア料理のボルシチを食べる。

2月15日(日)

 資料整理と休養。

2月14日(土)

 終日、資料整理と読書。一水会の面々は、横山、成島両君を中心に、新宿東口駅頭で街宣。暖かくなってきたので聞く人も増え、レコンキスタが数部売れたという。春暖かくなればもっと聴いてくれる人が増えると思う。

2月13日(金)

 『月刊リベラルタイム』の原稿を書く。締切日なのでアタフタと。
 夕方6時から、新宿・花園神社社務所にて行なわれた野沢正平・元山一證券社長の講演を聴きにいく。演題は「会社倒産を経験して」。一時は7700人(グループ企業をあわせると1万人超)の社員を抱え、四大証券の一角を占めた山一が「なぜ崩壊したのか」という経験は、貴重であった。あの有名な涙の会見で、7000人以上の社員が「再雇用にありつけた」と語っていた。彼は今でも、元社員の就職を手助けしている。「当然のことだと思う」として、気負った様子はなかった。ちなみに「山一はまだ崩れていない」とも仰っていた。
 その後G街に、以前撮った写真を受け取りに行く。
2月12日(木)

 午前中、府中市内の病院に検査入院している友人Sさんを見舞う。横山君と一緒に。
 午後、友人のTさん、Dさんが来訪。イラク情勢で意見交換をする。
 夕方、在日イラク人通訳のAさんと待ち合わせし、サッカーの日本対イラク戦を観戦。イラク大使館より限定で1枚のチケットを貰う。競技場の応援席には在日イラク人の知人が数十人。さながら「イラク村」と化していた。イラク国歌・国旗も前のままで、見慣れた国旗がはためき、聞き慣れた国歌が流れた際には、感慨深いものがあった。2−0で日本が勝って良かったが、イラクの選手たちも、長旅の疲れをものともせず、善戦していたと思う。

2月11日(水)

 紀元は2664年。朝から沐浴。沈思黙考。政府主催の記念日に小泉首相は出席しなかった。新聞報道によれば「タカ派に見られたくなかった」ということだ。相変わらず腹が据わっていないというか、参院選に向けた「配慮」なのだろう。
 イラクの友人から、アメリカが作った指名手配リスト、「フセイン政権幹部55人トランプ」が届く。

2月10日(火) 

 日露戦争開戦100周年の日。
 昼、パレスチナ暫定自治政府(PA)の大使館にあたる「駐日パレスチナ総代表部」に勤務するTさんから連絡が入る。「時間のあるときに会いましょう」ということに。
 午後3時より、一水会事務所にて、鈴木邦男・一水会顧問と対談。司会は編集人の横山君。テーマは「レコンキスタの発刊から300号、その時我々は何をしたか」。ここ20年間の歩みを語った。対談の模様は3月発行のレコンキスタ300号に掲載予定。
 夜7時より、高田馬場シチズンプラザにて、第35回「一水会フォーラム」を開催。 「憲法改正への基本的視点」という演題で、日本大学法学部教授の百地章先生に語っていただく。百地先生は、「第9条2項を改正することを突破口に、改憲は可能だ。これに全力を集中すべきである」と方針を提示された。終了後は恒例の「レコンキスタ読者の集い」を開催。

2月9日(月)

 午前、ホームページ 今週の一言 の原稿を執筆。その後、『噂の真相』の原稿を入稿。噂真との色々な思い出話を書く。岡留氏からは、「もっと過激に書いてくれても良かったのに」と言われるが、彼がこう言うときは、「丁度いい塩梅だ」という意味でもある。3月25日に同誌別冊の『サヨナラ噂真』(仮)として、刊行される予定。鈴木顧問も書いているのでぜひご一読を。
 午後、『週刊SPA!』の取材を受ける。「自衛隊員がイラクで襲われないためにはどうすれば良いか?」がテーマ。「まず前提として、自衛隊のイラク参戦には反対だが、それは政治が間違っているのであって、行ったからには同胞として、イラク人と軋轢を起こさないことを願う」として、経験から得たイラク人との付き合い方のあれこれを、1時間ほど語った。火曜日(17日)に発売。極めつけの提案をしているのでご一読を。

 夜7時から、友人Sさん、シンパで教育問題に詳しいNさんを交えて、新宿・中村屋でビハリ・ボースの息吹を呼び起こしながら一献。
2月8日(日)

 完全休養。読書と資料整理など。夜、NHKスペシャル「ドキュメント・エルサレム」を見る。ブッシュはテキサス州知事時代、イスラエルを訪問し、シャロン外相(当時)の案内で「嘆きの壁」で祈りをささげたり、ヨルダン川西岸の入植地などを視察している。一神教の場合、宗教心が極まると危ない。寛容度でいえばイスラムの方が上である。しかし、ブッシュは大統領になる前には、南米・イスラエルを含め3回しか外国に行った経験がないという外交オンチだから、イスラエル訪問で大きな影響を受けたのは間違いない。
 また、ブッシュの支持基盤であるキリスト教原理主義のグループが、ユダヤ人によるエルサレムの完全支配を望み、アメリカがそれを助けるようにロビー活動をしている様子なども放映されていた。
 今さらながら、ブッシュのイスラエル寄りの政策に怒りを覚えると同時に、やはりイラク侵略は、イスラエル防衛と、石油資源などの安定確保のために行なわれたものであるとの確信を深めることになった。
2月7日(土)

 読書と資料整理など。フロリダでG7財務相・中央銀行総裁会議が始まった。世界的なドル安にどう対応するかが話し合われたが、日本の過剰なドル買い介入は、ヨーロッパからも顰蹙を買っている。一体どうするつもりか。円高ドル安による為替差損で、日本側は8兆円もの赤字になっているという。この「差益分」がアメリカに吸収され、イラクへの軍事費に廻されているといると思うと、為替コントロールの構造の解明をしなくてはダメだ。
2月6日 (金)

 午前より事務所で執筆作業。3月10日発売号で休刊する『噂の真相』に向けた「休刊メッセージ」を書く。いわば友人・岡留氏へのメッセージである。ふり返れば色々なことがあった…。
 午後2時から、内幸町のプレスセンターで行なわれた板垣雄三・東京大学名誉教授の講演会「イラク戦争から一年―世界が直面する危機―」(主催・中東調査会)に出かける。
 板垣氏は、現在のイラクが、内乱・内戦へと発展する可能性があることに懸念を持っておられた。また、同地では、欧米列強によって行なわれた「国分け・諸国体制」への反発から、アラブ・ナショナリズムが台頭してきたとし、その底には、欧米による東方への接し方の問題(東方問題)が横たわっているという。
 板垣氏は自衛隊のイラク「参戦」にはっきりとした立場は表明していないが、少なくとも派遣する場合には、自衛隊は戦闘を目的とした軍隊ではなく、あくまで復興支援に来たのだということをもっとPRするべきだと話していた。
 会場で偶然、友人のK氏と会い、地下の喫茶店でしばらく話す。
 夕方、事務所に戻って『噂の真相』原稿を推敲する。
 夜七時、木村ゼミ生のHさんと待ち合わせ。「インシャーラー」「シュクロン」「ジェッタン」などなどとアラビア語が飛び交う。彼女もアラブに行くそうだ。私の経験から得たアラブ人観と、安全で安いホテルの情報などについて話した。彼女からは、チベットの話や、アラビア語を習おうと思ったキッカケなど、いろいろな話を聞いた。 
2月5日(木)
 
 午後、ホームページ 今週の一言 を更新。夕方6時、友人のSさんが来訪。

2月4日(水)

 午前、知人の元雑誌編集者と待ち合わせて、ベテラン女優Aさんをたずねる。いつもいつもの苦労話は、とてもタメになる。その後、事務所に戻り、執筆と資料整理など。夕方6時、友人のS氏が来訪。 
 夜7時、友人のTさん、Dさんらがイラク復興支援についての企画を持って来訪。どうやって企画を実現するかなどの相談に乗る。
 その後、解散し、NHKの旧知のOさんと合流して一献。さらに深夜、同じくNテレビTさんらも合流し、イラク問題などを語りながら遅くまで。疲れて事務所泊。
 今夜、「News23」でイラクへの自衛隊「参戦」に関するインタビューが放映される予定だったが、番組の都合で結局、延期に。

2月3日(火)

 昼頃、TBSより取材を受ける。イラクへの自衛隊「参戦」と、小泉政権に対する意見を聞かれ、アメリカ大使館をバックにして語った。「News23」で放映予定。
 午後2時から、新宿・花園神社にて行なわれた節分祭追儺式に参加。裃をつけて境内を歩き、豆をまく。いつもご案内を頂いているが、今年は年男なので参加した。直会で色々な人に会う。
 その後、事務所に戻り、ホームページ 今週の一言 を更新。夕方6時、友人のSさんが来訪。 
 夜7時から、シンパのKさん、Mさん、Tさん、Sさんらと7人で、新宿の店で新年会を行なう。その後、「俺たちひょうきん族」の武者(ムシャ)の店で一献。

2月2日(月)

 昼頃、地元の先輩であるE氏が来訪。午後、明日の更新の準備のため、「今週の一言」原稿を執筆。夜、一水会事務局にて、レコン300号記念大会についての打ち合わせ。


活動報告 平成16年1月

活動報告 平成15年12月

活動報告 平成15年11月

活動報告 平成15年10月

活動報告 平成15年9月

活動報告 平成15年8月

活動報告 平成15年7月

活動報告 平成15年6月

活動報告 平成15年5月

活動報告 平成15年1月〜3月

 


■トップページにもどる







SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送