★活動報告★
平成15年8月
8月29日(金) 午後 「武愛塾」を主宰し、機関紙「動天」を発行する玉川君と、西洋近代終末思想についての対談を行なう。彼は20代前半と若いながらも、自前で機関紙を発行したり、街宣活動などを展開する青年民族派だ。1人でも活動し、コピー1枚から機関紙を発行するバイタリティと、憂国の思想の持ち主。

 私も二十数年前、東京銀座・数寄屋橋で木箱の上にハンドマイクを置いて、毎週土日に3時間ずつ街宣をやっていた(下写真は22歳のときのもの)。これは3年間続けた。そのとき頂いた北方領土奪還の署名は5000名に達した。それを総理府に持参し、奪還に尽力するよう要請したことがある。「かたりべ」というA4で20ページぐらいの機関紙を発行していたが、こちらは6号までで断念。ただ、その機関紙の巻頭に、座右として「わが内なる敵・甘えを克服することから出発」という言葉をいつも載せていた。

 玉川君との対談で、そんなことが思い出された。9月中にはこの対談を掲載した「動天」が発行されるので、是非読んで頂きたい

 夜 「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日)の今日のテーマは「愛国心と国益」。同番組チーフから連絡が入り、一水会・木村ゼミの若手メンバー5名がスタジオに観覧に行った。発言をしようとしていたらしいが、時間の都合(?)か何かでカットされてしまい、残念がっていた。

8月28日(木) 昼 NHKデスクで友人のA氏の後輩記者・T氏と歓談。

8月27日(水) 午後 「木村ゼミ」合宿のための資料作り/

夕方 八王子のビジネスホテルにて「木村ゼミ」合宿を行なう。私は5時から参加したが、参加者は既に武蔵野御陵の参拝を済ませ、資料の読みあわせをしていた。
 
今日の講義テーマは「戦後の右翼運動〜親米派と反米派の相克」。終戦を迎えて、社会状況の変化や価値観の転換に対し、葦津珍彦先生、赤尾敏先生、影山正治先生、津久井龍男先生、三上卓先生らの右翼指導者が終戦をどう乗り越えてきたか、先生方の占領期間中の苦悩や生き様を、文献を読み解きながら講義した。

 この時代、戦犯指名による公職追放、団体解散、言論統制、神道指令など、占領軍は徹底的に日本のナショナリズムを撲滅する作業を行なった。例えば、公職追放の審査対象者だけで、なんと71万7415人、うち該当者が21万288人にのぼった。そのうち、右翼の指導者・活動家や右翼系宗教指導者など、右翼人は4万9340人であった。当時の右翼団体210団体も、解散を命じられた。そして、3S5D政策にみられるように、徹底した民主化が行なわれた。これに対抗する時代的要請から、占領を一日も早く終わらせるのと同時に、反共運動も行なわれたのである。

8月26日(火) 午後 学生シンパのY君、K君、M君と歓談。

8月25日(月) 昼 エジプト人のMさん来訪/午後 イラク・パレスチナを訪れて帰国したばかりの I 君が来訪。写真を見せてもらい、色々な話を聞く。

8月23日(土) 駐日イラク臨時代理大使のシャーキル氏が日本を出発し、イラクに帰国。数日前に送別会を行なったが、改めて「気をつけてお帰りください」とTEL。

8月22日(金) 昼 エジプト人のMさん、Nさんが来訪/午後 元文芸誌編集長のMさんが来訪。色々とアドバイスをもらう/夕方 中国人ジャーナリストなどと歓談。以前、取材を受けたO女史とは別。日本の右翼思想を学びたいとのこと。O女史も含め、なかなか真面目に研究を続けている。

8月21日(木) イラク・バース党の友人から、国連バグダッド本部爆破事件についての見解が伝えられる。

「このような事件を懸念している。国連が中立性を失っていたのは確かだが、死亡したデメロ代表は早急にイラク人主体の政府を作るべきだと主張し、米軍の早期撤退を主張していた。我々の仲間が彼に攻撃を仕掛けることはありえない。それは、米軍駐留を長期化させるだけだからだ。やったのは、アメリカをイラクに釘づけにしておけば得をする外国の勢力だと思う」とのこと。率直な意見である。

午後 雑誌「BURST-HIGH」で、2月に一緒にイラクに行ったPANTA(頭脳警察)氏と対談。話題はイラク問題から「生き様論」まで幅広く及んだ。こちらも9月中に発売される予定/夕方 一水会事務所で打ち合わせ。

8月20日(水) 昼 イラク大使館を訪問し、シャーキル駐日臨時代理大使とお茶会。同大使は今週末イラクに帰ることになったため、送別会を兼ねての歓談である。昨日の国連バグダッド現地本部爆破事件について大使は「まことに遺憾だ」と語っていた。「サダム体制に戻って欲しいとは思わないが、バース党の理念は正しかったと思う。支持する国民は今でも多い」との談。

夕方 日頃からお世話になっているサワズカンパニーの澤会長と一献。10月に同社が主催して、靖国神社で演劇「同期の桜」が上演されるが、これにあたり、「レコンキスタ」取材についての打ち合わせをする。

8月19日(火) 午後 北一輝先生命日のため、目黒不動にある北一輝、大川周明両先生の墓を訪れる。石碑に刻まれた「革命は 順逆不二の門……」の文字は、大川周明博士の筆によるもの。両先生は満川亀太郎翁とともに猶存社を組織し、戦前の右翼運動に多大な影響を与えた。北一輝先生は2・26事件の首魁として、叛乱を企てたかどで、西田税氏、磯部浅一氏、村中孝次氏とともに銃殺された。一水会や「木村ゼミ」のメンバーとともに合掌したが、それぞれ感じ入るところがあったようだ。


8月18日(月) 昼 月刊誌『MOKU』のSさんと打ち合わせ/午後 イラクから帰国したばかりのM氏が来訪。現地の状況を聞く。米軍への住民の不満は頂点に達している様子。「アメリカ兵は恐怖感から住民の誰彼かまわず銃を向け、怪しければすぐに射殺する。バグダッドの目抜き通りにある商店街は昼の2時で店が閉まり、辺りは閑散としている。かつての街の賑わいは嘘のようだ」、「毎日のように殺し合いが起きている。報道されているのはほんの一部にすぎない」とのことだった。

8月16日(土) 『武道通信』インタビューのゲラチェック。岡本行夫首相補佐官のイラク訪問が延期されることになった。いずれは調査団を派遣しなければならないだろうが、行かないほうが身のためですぞ。

8月15日(金) 早朝 靖国神社を参拝。千鳥が淵の無名戦士の墓も訪れる/午後 外務省の中東担当官を訪問し、イラク情勢について意見交換。「自衛隊派遣は止めたほうがいい」との旨を伝えた。外務省の認識として、今後のイラク情勢をどう予測しているかを訊いたが、「全くどうなるか分からない」との見解だった。ということは、米軍の撤退の可能性も含んでいるのだ。

8月14日(木) 夕方 パレスチナとイラクを訪問し、帰国したばかりのY氏に現地の状況を聞く。パレスチナでは見えないところで虐殺が横行している、と憤慨していた。イラクの治安も相当悪化しているらしい。

8月13日(水) 夕方 『日刊ゲンダイ』N氏と歓談。イラク情勢、自衛隊派遣、秋の政局などについて話す。

8月11日(月) 午前 塩見孝也氏、Y元代議士と会合/午後 『武道通信』のインタビューのため杉山頴男氏が来訪。テーマは「イラク民族解放への戦い」。

8月9日(土) 夜 鈴木邦男氏の還暦祝(というと本人は嫌がるので激励会)と、私の息子誕生のお祝い会を、一水会事務局と木村ゼミの受講生たちが開いてくれた。事務所近くの居酒屋「東方見聞録」にて。

8月8日(金) 夜 『発言者』(西部邁氏主幹)のインタビューを受ける。主にイラク問題について。その後、韓国料理屋で食事をご一緒させていただく。続いて文壇バー「風花」に行くも満員で、近くのビールバーで深夜まで語る。

8月6日(水) 夜 『一水会フォーラム』を開催。講師は川内康範氏で、「吾ら原爆に降伏せず」をテーマにお話いただいた。83歳になってもなお意気軒昂な川内氏。いいお話だった。会場も満席で、二次会も盛り上がった。

8月5日(火) 午前 月刊誌『MOKU』ゲラ提出/昼 『サンデー毎日』の取材を受ける。自衛隊派遣問題について/夕方 シンパのKさんらが来訪。
8月4日(月) 午前 一水会本部で打ち合わせ、『レコンキスタ』ゲラチェック/午後 8月6日の「一水会フォーラム」でお話いただく川内康範氏にごあいさつ。

8月2日(土) 午後 7月初旬に取材を受けた雑誌『MOKU』インタビュー原稿のゲラチェック/高村正彦代議士を団長とする与野党のイラク訪問団が出発したが、米国にコントロールされた、表面上のイラクしか見ないことになるだろう。反米・イラク解放派の本音が分かるのは、来年1月頃に予定される自衛隊派遣以降か。今回の訪問は所詮、自衛隊派遣のアリバイ作りにすぎないのだ。

8月1日(金) 夕刊紙『日刊ゲンダイ』に、昨日取材を受けた際のコメントが掲載された。「フセイン”残党”最高幹部が明言『自衛隊は攻撃目標だ』」という記事には反響も大きく、テレビ朝日『ワイドスクランブル』中の「今日の夕刊」コーナーでも紹介されたらしい/夕方 ホームページを更新。コラム連載中の『月刊リベラルタイム』が届く。

『日刊ゲンダイ』 2003年8月2日付 5面 →
(クリックすると全文閲覧可)


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